■キッド (1921)エドナが仲裁に現れる。「人もし汝の右の頬を打たば左をも向けよ」と諭された兄貴、チャーリーに左の頬を差し出す。そんな騒ぎのあとで、キッドが病気であることが判明する。駆けつけた医師に「君がこの子の父親かね?」と訊かれ、チャーリーは例の手紙を見せる。「しかるべき処置を取ろう」と医師。
■キッド The Kid (1921)
監督:チャールズ・チャップリン
出演:チャールズ・チャップリン、エドナ・パーヴィアンス、ジャッキー・クーガン、カール・ミラー
■チャールズ・チャップリン Charles Chaplin1889年、ロンドンで生まれる。本名チャールズ・スペンサー・チャップリン・ジュニア。父チャールズと母ハンナ・ヒルは、ともにミュージックホールの芸人であった。5歳のとき、母が舞台を病欠したために初舞台を踏む。間もなく、父は飲酒が原因で急逝。母は貧困のために発狂し、病院へ収容される。チャールズ・ジュニアは、4歳上の異父兄シドニーとともに孤児院を転々とする。1908年、兄が所属していたフレード・カーノ一座に入座する。このときの座員には、のちにローレル&ハーディのコンビで有名になるスタン・ローレルもいた。
1910年、一座ともに渡米。アメリカ各地を巡演するうちに、その舞台がマック・セネットの目にとまり、1913年、キーストン社と契約を結ぶ。映画デビュー作は翌14年の「成功争ひ」 Making a Living。山高帽にチョビ髭、だぶだぶのズボンにドタ靴という、あのトレードマークともいえる扮装は同14年、2作目の「ヴェニスの子供自動車競走」 Kid Auto Race in Venice の撮影の際に、その場の思いつきで身に着けたものであった。1915年にはエッサネイ社、16年にはミューチュアル社、17年にはファースト・ナショナル社と移籍を繰り返しながらも数々の優れた短編映画を世に送り出し、人気は不動のものとなる。
1919年、ダグラス・フェアバンクス、メアリー・ピックフォード、D・W・グリフィスの3人の映画人とともにユナイテッド・アーティスツ社を設立〈写真)。これは大手映画会社の制約に縛られずに、自由に映画を製作し配給しようという、文字通り「芸術家連合」の理想を高く掲げた会社であった。 チャップリンは、ここで記念碑的シリアスドラマ「巴里の女性」 A Woman of Paris (1923)、そして最高傑作「黄金狂時代」 The Gold Rush (1925) を作り上げた。その後、現代社会を痛烈に風刺した「モダン・タイムス」 Modern Times (1936)、「独裁者」 The Great Dictator (1940)、「殺人狂時代」 Monsieur Verdoux (1947) を発表。いずれも映画史に残る名作となる。しかし、当時の米右派陣営からは快く迎えられず、しばしば「容共的である」との批判を受けた。そして、ついに 1952年、『ライムライト』 Limelight のプレミア上映のためにイギリスへと向かう船上で、非米活動調査委員会からの召喚命令を受け、やむを得ずアメリカへの再入国許可を返上、スイスへの移住を決める。晩年はレマン湖畔ヴェヴェーで、4人目の妻ウーナと子供たちに囲まれ悠々自適の生活を送っている。1977年、死去。
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