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キートンの恋愛三代記 #10
2008-07-18-Fri  CATEGORY: バスター・キートン
3ages_10.jpgキートンの恋愛三代記 (1923)
教会に駆けつけたキートン、間一髪のところでマーガレットを連れ出す。ビアリーのファイルを見せて立ち去ろうとするキートンをマーガレットが呼び止める。そして、熱いキス。「よし! 教会へ戻ろう!」 かくして、愛が不変であることが証明された。だが、まだ何か説明が必要なのであれば…。





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キートンの恋愛三代記 Three Ages (1923)
キートン初の長編。とはいえ、石器時代、ローマ時代、現代の3本の短編が交差する構成になっている。本格的な長編製作への助走のつもりもあったのかもしれない。しかしまた本作は、D・W・グリフィスの大作『イントレランス』 Intolerance (1916) のパロディにもなっている。
製作:バスター・キートン、ジョセフ・M・スケンク
監督:バスター・キートン、エディ・クライン
出演:バスター・キートン、マーガレット・リーイー、ウォーレス・ビアリー、ジョー・ロバーツ、リリアン・ローレンス、ブランシ・ペイソン

3_ages_01.jpgバスター・キートン Buster Keaton
1895年、カンザス州ピクァで生まれる。本名ジョセフ・フランシス・キートン。父はジョセフ・ハリー・キートン、母はマイラ・イーデス・カトラー・キートン。両親とも舞台芸人であった。生後6ヶ月のとき、ホテルの階段を踊り場まで転げ落ち、しかし怪我もせずにニコニコ笑っていたという。それを見た芸人仲間の奇術師ハリー・フーディニが「この赤ん坊は、ちょっとした Buster (大物)だぞ!」といった。これが、のちの芸名となる。正式の舞台デビューは5歳のとき。両親とともに “ザ・スリー・キートンズ”として巡業し、子供ながらに荒々しいアクロバット芸を披露した。
1917年、ロスコー “ファッティ” アーバックルの誘いで映画界入り。デビュー作は、同年の『デブ君の女装』 The Butcher Boy である。1919年、映画プロデューサーのジョセフ・M・スケンクがチャップリンの撮影所を買い取り、キートン・ステュディオと命名。キートンはスケンクと契約を結んで独立を果たす。1921年、ナタリー・タルマッジと結婚。だが、この贅沢好きの妻とは、1932年に離婚している。ちなみに、この結婚のとき、ナタリーの要望からビバリーヒルズに建てられた豪邸、通称 “イタリアン・ヴィラ” は後年、映画『ゴッドファーザー』 The Godfather(1972)の作品中で、ユダヤ系大物プロデューサーの邸宅として使われている。
当時、キートン・ステュディオ内では、家族的な雰囲気のなかで映画製作が進められていた。朝から晩まで一緒にギャグを考え、行き詰ると野球やブリッジをしていたという。1923年、念願の長編に着手し、『恋愛三代記』 Three Ages を完成させる。その後、1928年の『蒸気船』 Steambaot Bill Jr. に至るまで、10本の長編映画が製作された。スケンクの勧めでキートンは、1928年、自らのプロダクションを解散して、MGMと契約する。しかし、MGMの近代的な製作システムは肌になじまず、人気は凋落。のちにキートンは、MGM入りを「生涯最大の間違い」と語っている。不遇が続くなか、アルコール依存症で入院などもするが、1940年、ブリッジを習いに来た21歳のダンサー、エレノア・ノリスと結婚。晩年は夫人とともに、静かで幸福な日々を送っていたようだ。1966年、肺がんのため死去。 “The Great Stone Face” と呼ばれた、何があっても笑わぬ表情は、あまりにも有名である。
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